草うしのおじちゃん/草うしプロジェクト運営会議委員 古屋輝行

09.阿蘇の広大な草原を背景に取組みを始めた理由

09-1. 阿蘇のあか牛(褐毛和牛)の歴史

阿蘇の草原では千年以前の昔(平安時代の古文書=延喜式・905年)から牛馬の放牧畜産が営まれ、役牛としても田畑を耕したりものを運んだりと地域の生活を支えてきました。その頃から飼われていたこれらの牛は朝鮮牛を基にしそれらが肥後熊本の気候風土に適合し土着化したもので、古くから「阿蘇牛」「矢部牛」「球磨牛」と呼ばれ熊本一円に広く分布していました。褐毛の特徴には、強健で性質が穏やかで粗食に耐え環境順応能力が高い・・・という優れた特性があり体格も今のように大きくなく女性や老人でも扱い易い牛でした。明治44年に在来種の褐毛を大型化するためにスイス原産のシンメンタール種と交配させ、体格が大きいが優しく環境順応力が高く赤身が多く美味しいいまの阿蘇のあか牛=褐毛和牛の原型をつくりました。(現在では褐毛和牛には熊本系と高知系があります。)

地元では「阿蘇のあか牛」とか「肥後のあか牛」と呼び、阿蘇の風土にあった昔からの飼い方=“春3月一斉に野焼きをしその後4月、草原が緑に覆われる頃に放牧し11月下旬頃まで草原で牧草、野草を食べさせ秋が深まるころ里の畜舎にもどる”=で健康そのものでした。昭和30年代までは田畑を耕したり、刈り取った干草を背中いっぱいに乗せて運んだり役牛としても活躍していました。

草原での親子放牧の写真

日本の牛はそれぞれの地域で乳・肉・役牛として飼われ、その後の近代化機械化への農業の変化や食生活の変化に対応し牛の育て方や内容が大きく変化しました。経済効率的な農業経営のために舎飼いで多頭飼育を余儀なくされ、今ではのどかな放牧飼育の風景が少なくなり、ほとんどの畜産家は生後間もなくから畜舎で穀類主体の給餌で育てる方法にすっかり変わってきました。残念ながらそれは古来からの環境風土を守る方法でもなく、何よりも“健康的に牛を育てる”ことではないことは確かです。